2017年2月12日 教会学校分級資料マタイ12章22-32節「イエスさまの力はどこから」

2017年2月 祈祷会・教会学校 聖書箇所  2/12 マタイ12章22-32節「イエスさまの力はどこから」

総合テーマ 主イエスの福音宣教の特色

 

◆前回からのあらすじ…

宣教旅行の途中でバプテスマのヨハネの弟子たちと話された後、数多くの奇跡が行われてもなお罪を悔い改めようとしないコラジンやベトサイダの町々を叱る主イエス。ある安息日に麦畑を通り、弟子たちが麦の穂を摘んで食べたことでファリサイ派の人々と論争する。その後、会堂で片手が萎えた人を癒し、ファリサイ派の人々から安息日の掟を公然と破る危険人物とみなされ、主イエスを殺害する話しさえ出始めます。

 

黙想のポイント

*聖書を最も大切にしていたはずの律法学者たちが、なぜ主イエスこそキリストだと理解できなかったのか考えましょう。

 

◆ベルゼブル論争

12:22 そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。

12:23 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。

>>>初めは優れた癒しの賜物を持ち、民衆に神の国について説く預言者として注目されていたイエスでしたが、人々は徐々にイエスを聖書が預言するダビデの子、すなわちダビデ王の時のように周りの超大国の支配から救い出し、民を守る救世主ではないかと考え始めていました。

 

12:24 しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。

>>>ファリサイ派の人々は本気でこのように思っていたことでしょう。彼らにしてみれば、律法に反することを行って神を冒涜するような人物が救世主だとは到底思えなかったのです。彼らの聖書理解がいつの間にか間違っていたために、皮肉にも真っ先に気づくべき彼らが、イエスこそ自分たちが待ち望んでいたキリストだと理解することができませんでした。

 

12:25 イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。

12:26 サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。

12:27 わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。

12:28 しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。

>>>主イエスはここで、非常に重要な信仰理解について語られました。つまり神の国はいつ到来するのか、あるいは神の国はどこにあるのかという議論についてでした。主イエスは彼らに次のように主張されたのではないでしょうか。

*「あなたがたは聖書を一般の人々よりも真剣に研究しているので、本来は誰よりもその教えに精通しているはずである。しかし悪霊は聖書の教えを誤解させ、あなたがたがその教え通りに生きないようにさせている。だからこそ、神は私をお遣わしになったのだ。悪魔に支配されてしまっているこの世の人々を神の元へ導くために。あなたがたは神の国はいつ来るのか、どこにあるのかと言っているが、神の国とは悪霊が自由に力を発揮できない所を言うのだ。今、悪霊の力によって自由を奪われている人々が私の業によって解放されているのであれば、神の国はまさに今、あなたがたの目の前に来ているのだ。」と宣言されたのです。

 

12:29また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

>>>主イエスは敵である悪魔が私たち人間にとって非常に手ごわい存在であることを示唆し、主イエスこそ悪魔が奪い取ってしまった神の家と家財道具を取り戻すために来たと告げます。

 

12:30 わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。

12:31 だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。

12:32 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」

>>>ここに重要かつ難解な真理が語られます。主イエスに言い逆らう者は赦される、聖霊に言い逆らう者は赦されないという神の国の大原則です。それは、主イエスと聖霊の役割の違いから来ると考えられます。主イエスは人々の罪をあがなう救い主です。罪人の罪を赦すことが使命です。主イエスは言い逆らう者も、やがて罪を悔い改める日が来ることを願って、その罪は赦されます。しかし、悪魔の支配から解放することができ、神の御心を正しく理解することができるように導く助け主である聖霊に逆らうことは、神の救いを拒否することになります。聖霊に言い逆らうことはこの世でも死後の世界でも赦されることがないと主イエスは語っているのです。

私たちは主イエスの十字架の贖いによって罪から救われ、聖霊の導きと力によって、サタンの支配するこの世から主イエスが統べ治められる神の国の中に生きることが赦されるのです。

 

分かち合いのポイント

・主イエスを救い主と信じることができないように、あるいは間違った聖書理解を私たちがするように、悪魔はどのように今日働いているでしょうか。分かち合いましょう。